祇園 京烏には色々な顔があります。
■作家さん、職人さんが気楽に借りられる貸しギャラリー
■プロ、学生さん問わず、落語や交流会が行われるイベントスペース
■限定営業のBAR
■金継ぎ等の伝統技術を学べる教室
■プロジェクトチームの会議室
そんな表の顔とは別に「襖引き手ショールーム」という側面があります。
(裏の顔、という訳ではございません、念のため)
一つの思惑として、引き手の存在を色んな人に知ってもらいたいという事があります。
「いや、そういうのをショールームっていうんじゃん」というのは、ごもっともな意見でございます。
そこは一歩踏み込んで考えて頂きたいのです。
襖の引き手だけのショールーム、果たして一般の方の何%が興味あるでしょうか?
建築や設計に携わったり、茶道華道をされている人であれば触れる機会もあるので知っている人もいるでしょう。
もしくはお寺や料亭等、和の空間に触れている方も含まれるでしょう。しかしながら殆んどの人が襖の、ましてや引き手に注目する事はありません。
その様な状況で、どうやったら襖引き手に興味持って頂けるか。
サブリミナル効果の様に、たまたま他の用事で来た時に「襖の引き手」のショールームがあり、襖の引き手にはこんなデザインや仕上げがあるんだ、と何となく知って頂く事が必要だと思っています。
逆に言えば、そんな状態からスタートしないと、多くの方に情報として入れてもらう事、ができないと考えています。
情報が溢れている時代ですから、興味のある事については積極的に調べる事が可能ですが、誰かから与えられる情報は余程の事がない限り、右から左へ聞き流すのが関の山です。
まさに0から1へする産みの苦しみがあり、これがビジネスに置き換えると非常に効率の悪い事である、というのは言うまでもありません。
それをメインにするショールームではない事に、京烏の本質があります。
裏の顔、という事を書きましたが、それぞれが相互に存在し、新しい情報をもたらす事が京烏の価値であり、最も重要だと考えます。
一般にこの様な場所を設ける時は「コンセプトがこうでないとダメだ!」「消費者が求めている事はもっと分かり易く!」等々、経営コンサルタントと言われる方であれば指摘されるのではないかと思います。
しかし、メディアに左右されがちなステレオタイプのビジネスモデルの中で、商品やお店の売り出し方で淘汰されている商品や技術が沢山あると思います。
その中には、もの凄く良い技術や作品がある可能性だってあります。
大きな展示会に出せない事で、世に出回らない良い物は沢山あるでしょう。
見直されるべき美意識であったり技術等が、一見すれ違うだけの中で見つかる事が、実は現代の流通に足りない事なのではないかと思いこの
「一つのプロジェクトとして」
襖引き手ショールーム 京烏があると考えています。
話を戻しますと、襖の引き手は職人さん手作りのもの、と機械で作ったプレス物に大きく分かれます。
手作り品とプレス品、どちらが良いか、という議論はナンセンスだと思っています。
鋳物の型が劣化で無くなったり、鋸引きで採算が合わなかったり、一部のみ機械化したりと、製造方法は都合で様々です。
和室ができてから長い歴史の中で、色んな職人さんやデザインをする人、またその引き手を所望する人、建築に取り組む人、コストダウンを考えて量産化の為に機械を作るのも「襖引き手」という存在を巡っての一つのドラマです。
最も問題なのは、「気にされなくなる事」です。何でもそうですね、言われるうちが花。
漆仕上げ、 金箔仕上げ、燻べ仕上げ、金銀いぶしメッキ、煮色等の仕上げに、彫金や七宝、象嵌等いわゆる金工と呼ばれる技術が、小さな「襖の引き手」に詰まっている事が、日本ならではという気が致します。
特に、襖の引き手は大きい部屋の一部、という所謂エンドユーザーが購入しても直ぐに利用できないもの、なのでかなり長期的な展望でアナウンスし続けるしかありません。
多くの人が一生に一回位だと思いますが、家を建てる、リフォームする機会に「昔、漫才見に行った時に襖の引き手あったなぁ、ちょっと拘ってみるか」と思ってもらえれば幸いです。